イギリスは不思議の国!

2005年11月イギリスに移住。すると一体どうした事でしょう!!旅人時代はちっとも気付かなかった、大きな驚き・中くらいのびっくり・ちょっぴりの仰天etc.etc.に毎日遭遇!これは、その忠実な(筈の)レポートです。

ルバーブ・タルトはあっという間に消え去りぬ。

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 08
  4. (Tue)
  5. 17:04
イギリス人って毒々しく甘いケーキを平気で食べるのに、甘酸っぱいルバーブも大好きなのは何故なんだろう???

とにかく!「手抜き棒(説明はここをクリック)」を使ってタルト生地を作ってみたかったので、今が旬(と思うんです)のルバーブのタルトを作ることにしました。

1.タルト生地を作る。
スペルト粉1カップに油を大さじ2を足してから手でささっと混ぜて、そこに水を垂らして行ってささっとまとめて行き、油を引いたタルト型に直接このドウを乗せてから「手抜き棒」で淵まで伸ばして行く。以上。
*両手ともにカメラを持てる状況では無かった事から写真無し、です。

2.ルバーブを刻んで
刻んで
*まな板は、オーストラリアで一目ぼれして買ったのは未だ観賞用に置いてあって、このぼろいのを使い続けています。

3.生姜と一緒に煮て「ルバーブ・ジャム一歩手前」を作る。
煮て
*甘味は最初は米飴だけでつけようとしたんですが、どうも田舎臭い味になってしまって、おまけにちっとも甘味が付かないので、これにデイツ・シロップを足してつけました。

4.少し空焼きしておいたタルト生地に「ルバーブ・ジャム一歩手前」を詰めて、オーブンへ。
焼きました。
*ちょっと焦げたけど・・・二日分のデザートのつもりだったのに、食後に出したらアッと言う間に全部無くなってしまった。

★残った分はもう少し煮詰めてジャムにしました。こちらは三日間ぐらいは持たせるつもり






やっと「普通」の飲み物、食べ物でホッ・・・。

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 05
  4. (Sat)
  5. 18:36
この前のパリでの「ヨーロッパ薬膳の講習録(ここをクリック)」は、講習録じゃなくて、その時買ったキッチン・グッズ紹介、になってしまいましたが、、、

今回は、以下、オオニシ先生語録からの抜粋、、私の覚え書きです。
・・・昔からノートは自分がナルホド!と膝を打った事しか書き留めなかったので、テスト前に私のノートを借りに来た人はいなかった・・・。


**********

「玄米を主食にして、陰陽に気をつけて食生活していたら、大きな事にはならない。」

「冷凍食品は解凍したままではなくて、あたためてから食べないと心配。」

「冷凍食品を解凍した後、また冷凍し直すのはタンパク質が変成するので危険。」

「ミントは心臓を広げるので、陰性の人にはNG。」

「甘いものやアルコールが欲しくなるのはリラックスしたいから。甘いものの質に気をつければ良いのであって、甘いもの自体を禁止する必要は無い。」


********

お葬式で行っていたジャージーでは、限りなく非マクロ生活に近い準マクロ生活だったので、やっと家に戻って来て、「玄米と味噌汁と、それから野菜や豆類や海藻類のおかずと、砂糖を使わないデザート」が基本の「普通の」食生活に戻れて本当に、本当に心底、ホッとしています。

夫は、と言えば、朝から三年番茶を煮出していると、二階から降りて来て
「ああ、いい香り〜。Bancha Teaは美味しいよね〜。」
と鼻をクンクンさせます。

マクロ的食生活が家族中(←夫と私の二名ですが、、)に深く浸透して来ているのかも。そうそう、マクロと言うとヴェジタリアンとかヴィーガンと混同されて、肉や魚はご法度、と思われがちですが、そんなことはありません。そして、拙宅のマクロ的食生活は肉や魚もそれぞれ一週間に一度ずつ(魚はそれ以上かも)は食べます。私は夫が食べる量の五分の一程度しか食べませんけれど。

********

それに関連して、以下、もう一つ、オオニシ先生語録から。

「男の人は肉や魚を食べた方が良いでしょうね。」
・・・戦うべき時(会社などで)に戦えなくなるから、とのことです。
*私はもう、「戦う」系の仕事からは足を洗った(!)ので、肉や魚は殆ど食べなくなりました。特に肉は、「肉ううう!」っていう味が気になって食べる気がしない昨今。

肉や魚、と言えば、オオニシ先生語録ではないのですが、最近、すごくピッタリ来る例えを読みました。

「胃腸を薪ストーブに例えると、全粒穀物は質の良い薪。肉や魚は燃やすとススが出るから気をつけないといけない薪。発酵食品は既に火が点いた薪。」
*日本CI協会の月刊誌「マクロビオティック」6月号の「病気にならないマクロビオティック生活」で岡部賢二さんが書いておられました。

だから動物性のものを食べる時は、それらの消化を助けるものを必ず一緒に食べるように気をつけているつもりではいます。







皮下脂肪をつけよう!

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 04
  4. (Fri)
  5. 18:40
あんころ蓬餅

「マクロビオティクスを始めて3年間くらいはディスチャージが続くから、痩せ続けても心配は無い(←ヨーロッパ薬膳のオオニシ恭子先生)」そうです。ディスチャージが終わると適正体重に落ち着いて来るとか。ホッとしました。

マクロを始めてから5キロ程度は痩せたんです:現在158cm、43kg。それ迄の服は全て、ウエストがばがば。。心配無いと言われたとて、あと2〜3kgは増やしたいところ。
*夫もマクロ的食生活になってからお腹凹みましたし、ダイエットの為にマクロを始めるっていうのもアリ、かもしれません。

********

皮下脂肪をつけるには、餅が良い。(←やはり、オオニシ先生)

とのことなのですが、玄米餅は恐ろしくお高いので、モリモリ食べるのはちょっと、、。

そこで!2月にパリでオオニシ先生から習ったとっておきの餅作り方法に、4ヶ月以上も経って、初めてトライしてみました。
*ずっと、やろうやろう、と思うばかりで、何故か未だやってなかったんです。

早く食べたい!という気持ちが先にたって、習った時のノートも見ずに、いきなり記憶を頼りにやってみる・・・。

1.玄米餅米をブレンダーで粉にします。
小さい方のコンテナで
*これはブラウンのブレンダーセットの中の小さい方の入れ物。先生はコーヒーミルを使っておられました。
*失敗するといけないし、と今回は1カップ。

2.よもぎ餅にしたいので、よもぎ粉を混ぜました。
*日本で買って来ました。

3.水を溶き入れてこねます。
*後でノートを見たら熱湯を使わないといけなかった。。
*カップに水(本当は熱湯!)を入れて、様子を見ながら粉砕した玄米に足して行きました。

4.蒸します。

5.蒸し上がったら杵でつきます。
杵代わりの肉たたき
*先生はホームセンターで見つけたと言う小さな杵のようなものを使っておられましたが、私は肉叩きを転用。肉叩きはギザギザ部分に餅がめり込むのが難点。

蒸し上がったら適当に切って皿に乗せ、蒸している間に作っておいた餡(圧力鍋で煮た小豆にデイツ・シロップで甘みを付けました)をドッサリとかけて
あんころ蓬餅
最初のと全く同じ写真です。上手く撮れている訳でも無いのに何となくもう一度載せておこう。。。


さあ試食!

むふふふ、、ふっふふふ

・・・第一回目のトライアルとしては、よろしいんじゃあ、ないでしょうか。

多少ざらついたので、もう少し執拗にブレンダーを回してもよかったかな。

p.s.そうそう、次回は必ずや熱湯でこねます!
p.p.s.餅は体に弾力性をつけるのにも良いそうなので、どんどん食べようと思ってます!








義母のお葬式のこと。

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 03
  4. (Thu)
  5. 18:48
誠にダイレクト極まりない題、だから内容もダイレクト極まりないんですが、書き留めておきたいと思いました。

火葬を断じて拒否する義父の希望で義母は埋葬になりました。義父母は敬虔なクリスチャンという訳ではありませんが、同じ教会区内に40年近く住んでいることから、近くの教会の墓地への埋葬が可能だったんです。

教会の外の表示
教会の外の表示は「ジャージー式フランス語」。


********

10時30分に黒リムジンが我々を迎えにやって来て、
黒リムジンがやって来て

11時にお葬式が始まりました。

牧師さんがオープニングを行い、

次に最初の祈り。

そして賛美歌。

次は、うちの夫によるtribute:義母の一生を振り返って故人を偲ぶ。
(本来なら牧師さんがやることなのではないか、と思うのですが、何しろ教会に通っていた訳では無いので、家族の誰かが行う事になったんだと想像します。)

続いて、姪による聖書からの抜粋のreading。

牧師さんの言葉。

参列者も参加しての祈り。

賛美歌。

"Commendation"

"Blessing"

そして棺が墓地へと運び出され、家族一同に見守られながら、前日掘られた墓穴に沈められ。。

翌日見に行ったら
翌朝、庭の花を花瓶に入れて持って行った時の写真。

********

死後解剖の結果、亡くなる三日前に心臓マヒを起こしていた形跡があり、それが死に至る要因だったとのことです。

何故、そのことを誰も知らなかったのか。

実は、義母はアルツハイマーだったんです。亡くなる三週間程迄に脚を骨折して入院。毎日必ず通う義父は勿論、家族の誰かれも毎日お見舞いに行っていたけれど、誰も居ない時に心臓マヒを起こしたのを本人が記憶していなかった、だから誰にも判らなかったみたいです。そして、その三日後、義父が見舞いに行った時、寒い寒い、と言うので、義父はベッドに一緒に入って義母を暖めた。すると、お手洗いに行きたい、と言い出してベッドから降り、そこで床に倒れてしまって、そしてすぐ後で義父の腕の中で息を引き取った。というのが顛末です。

式次第に写真
家に持ち帰ってマントルピースに置いた「式次第」


アルツハイマーを発症したのは10年程前になると思われます。いつを持って発症、っていうのが誰にも判りませんが、義父が義母の記憶力に疑問を持ってMemory Clinicで診察してもらった結果、判明。

映画で観るような、家族を認識出来なくなる、ということは全く無かったし、いつも明るく元気一杯。第三者から見たら全く病気の事は判らない。記憶力に問題あり、と去年、免許を取り上げられてしまいましたが、運動神経抜群でそれまで義父よりむしろ上手に運転していました。

一番の大問題が、最近起きたことに対しての記憶力の長さでした。
「食糧を買わないと。」
「今日はこれからどんな予定?」

・・・これら二つが、日常生活で最も多く発せられた言葉。答えても説明しても、1分も経たないうちに、まるで全く会話が無かったかのように、再び同じ問いが繰り返される。何度も何度も何度も。

私達が訪れるとこれらに
「何時の飛行機で帰るの?」
が加わります。やはり、何度も何度も何度も。

同じ事を繰り返し聞かれ、その度にその場に居る誰かが代わりばんこに同じ答えをし続けるんですが、余りに何度も続いたら、何度目かに、すぐには誰もが答えを返さない隙が出来ます。すると義母は目にうっすら涙を浮かべ、義父に向かって、「○○○(←義父の名前)、答えてよ,答えてよ!」と迫るのです。
・・・夫はその様子を「まるで、どんどん溺れて行く人が必死で水面上に顔を出して息をしようとするみたいだ。Poor Mum.」と表現し、溜息をついていました。

悲しいのは本人が自分の記憶力に問題あることを自覚していた事。
・・・例えば、かかって来た電話を取っても最初の当たり障り無い挨拶の後、すぐに義父に代ろうとしたり、
・・・或いは、義母に対して誰かが質問をすると、「それは○○○(←義父の名前)の方が良く知ってるから」と義父にすぐ振ったり、
・・・もっと直接的には「記憶力が弱って来ててね、覚えて無いんだけど、」という前ふりの後で何かについての質問をしたり。

ここ一年くらいの義母のルーティン:毎朝10時半頃にボランティアさんが迎えに来てくれてアルツハイマー協会がやっているデイケア・センターへ趣き、3時過ぎに、やはりボランティアさんに連れられて帰って来る。でも、そこで何をして過ごしているのかは誰も知らないんです、義母自身に記憶が残らないので。でも、迎えが来るとハンドバッグを持ってサッと立ち上がって付いて行くことから嫌な体験をしているとは思えないし、日々にアクセントが付くし、何より義父が一人静かに本を読んだりする時間も貴重、ということから、毎日行ってました。

夫も義姉も義母に気分転換を、と隣の島ガーンジーやサーク、対岸のフランス、果てはカナリー諸島、それから生まれ故郷、そうそう、テニスが大好きなのでウィンブルドンのテニスマッチなども、義母が好みそうな色々な所に連れ出しました。その時は大変楽しんでくれるんだけれど、家に帰ったらもうすっかり行った事をころりと忘れ果てている。でも、その時、楽しんで貰えたらそれでいいじゃないの、と、懲りずに色々な所に連れて行っていました。

子供の頃の記憶とか、若い頃の記憶は鮮明なんです。ちょっと水を向けると昨日の出来事のようにすらすら喋り出す。だから義母の出身地、サフォーク地方のDVDをクリスマスプレゼントにして、一緒に観て会話の端緒にしてみたりもしました。

義父は義父で去年の11月、我々が日本に居る時にやはり脚を骨折し、義母と違ってここ数年で か弱くなっていたことから、冬が越せるか危ぶまれていたのを何とか持ちかえして運転も再開するようになった、丁度そのタイミングで義母が同じ所を骨折。義母は手術の際に、頑丈な骨だ、と医者に太鼓判を押してもらったとのことだったし、すぐ良くなるだろう、と思っていたんです。そこに突然の訃報でした。アルツハイマーじゃなかったら助けられた命だったのかもしれません。

奇跡が訪れて義母の病気が一瞬にして治ることを密かに願っていたんですが、無理でした。少なくとも、義母の傷が良くなったら、8月か9月にでも、義父と一緒に我々の新しい家を見に来て欲しいと思っていたのに、それも叶わなくなってしまいました。

********

お葬式のtributeで夫が最後に義父への賛辞を述べました。
「アルツハイマーの妻に何度も何度も同じ事を聞かれても決して鬱陶しがったりすることなく、辛抱強く対応し続けた。結婚式の時にどんな時も相手を支えると誓った、それを誠実に実行し続けた。」と。本当にその通りでした。

アルツハイマーについて、もっと勉強したら、もっと良い対処法が見つかったのかもしれません。が、いつも一緒だった優しい義父、同じジャージーに住んでいるのでまめに世話を焼きに毎日通う義姉や頻繁に訪れる義兄や孫達、そして一ヶ月に一度程度しか行けないけれど、毎日のように電話で話したり、行く度に創造的な方法で義母の世話をする夫。そういう思いやり溢れる心根の家族に囲まれて、最後まで皆の顔や名前を忘れる事無く、何より夫(義父)に看取られて息を引き取った義母は、理想的な逝き方をしたのかもしれません。

********

墓穴はスパッと見事に掘ってありました。その奥深くに沈められていく棺。そこからは義父母の家の屋根が見えます。

アルツハイマーは20人に一人が罹るとか・・・あと何年かしたら治療法が見つかるのでしょうか。早くそうなることを願ってやみません。











新しい仲間達

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 02
  4. (Wed)
  5. 17:40
実は、義母が亡くなる寸前に、ヨーロッパ薬膳のオオニシ恭子先生の講習にパリに行って来たんです。2月に一度行った後、今回が二度目。距離的には東京から大阪に行くような感じとは言え、やっぱり結構大変、というのが実感。特に今回はパリの交通機関がストをするとかしないとか、、結局は大した事無かったんですが、帰れなくなったらどうしよう、とストレス強大。

・・・何とかイギリスで教室を開いてもらえないかな、と思ったり。拙宅の台所で良ければお貸しして、っていうのも大有りなんですが、最大の難点はセントラルや北部ロンドンから公的交通機関利用だと電車とバスの乗り継ぎになって時間がかかる、ということかな。10人以上集まれば特別教室をやって貰えそうなんですけれど・・・10人(以上)がうちのキッチンに入りきれるかどうかももう一つの難点ではありますが。

********

さて、2月に行った時は初級だけだったんですが、今回は遠隔地からの生徒、ということで、上級にも参加させて頂きました。

もちろん、学ぶことは沢山ありました。本を読むだけではピンと来ないこと、湧き出る疑問について直接お聞きしたり、工夫(殆ど発明!)一杯の料理実技を拝見するのは、真に得がたいです。

********

学んだことを「今回の収穫その1」とすると、「今回の収穫その2」は、以下の新しいキッチンの仲間達(なんか、この言い方、ちろりん村とくるみの木、みたい、と自分で受けてしまった。。)です。

1.「手抜き棒」と言うらしいです。

手抜き棒とのこと
オオニシ先生発明。オオニシ先生命名!

さあ、一体、何に使うのでしょうか?












答えです。
  ↓
写真から想像できるかもしれませんが、

タルト生地を延ばすのに使います。

大きい麺棒でえいや、えいや、と大きい面積を延ばした上で切り取る、のではなくて、

生地を、延ばす前にもうタルト型に入れてしまって、この小さな棒でこちょこちょと、タルト型の枠内で延ばしていく、という、

云わば逆転の発想!


2.非金属製・泡だて器

泡だて器

こういうのをオオニシ先生が使って料理デモをされていたんです。竹製?それともアケビなんかの蔓製?いずれにしても金属製では無い=チャカチャカ音をさせずに済む、

是非欲しい!と思ってどこで買えるのかお聞きした所、

「ベルギーでは普通に売ってますよ。」

・・・・・・。

だって、イギリスでは普通に売ってないし。

ところが、休憩時間に教室の近くのキッチンショップに行ってみると、よく似たのが売ってたんです!

迷わず求めました。それがコレ。

現在、未使用。いつから使おうかな♪♪


3.これなんですが、

マッシュルームブラシだと思って、泡だて器を買った店で、パッと買ったんです。
マッシュルームお掃除

けれど、買った後で触って見るとゴワゴワ。これでマッシュルームのお掃除すると、傷だらけになるのでは?

よくよく見れば、Uにウムラウトがついている、、ていうことは、これってドイツ語じゃないの?フランスものではなさそう、、なんだか、ガクっ。

試しに「TOPF BUERSTE」でググってみたら、「pot brush」っていう名前が出てきた。。

確かにBUERSTEって、ブラシ風です。

*注:これでも大学での第二外国語はドイツ語を取っていたので、二年間学びはしたのですが、全くやる気無かったこともあって、からっきしダメ、なのです。

あの、、一体、これ、何に使うものなんだろう〜。

買った後で困っております。

********

肝心の「今回の収穫その1」は、また日を改めて、と言う事で・・・。





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プロフィール

りす美

Author:りす美
49歳のある日。「50歳から結婚して一緒に住もう。」と突然言い出したイギリス人の現夫。30年近く働いたし、前夫との間の娘も成人したし、この辺でガラリと人生変えてみるか・・・、そういう運命かな、と、転職して間無しの会社に辞表を出してしまい、2005年11月、ここロンドン郊外に移り住んで来ました。

そして優雅に始まるセカンドライフ・・・だった筈なのに、日常生活の一つ一つが、嗚呼。何故なぜ?どうしてなの!?と、勝手が違うことばかり。

そんな新生活の驚きを逆に楽しんで行こうとしています。

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