イギリスは不思議の国!

2005年11月イギリスに移住。すると一体どうした事でしょう!!旅人時代はちっとも気付かなかった、大きな驚き・中くらいのびっくり・ちょっぴりの仰天etc.etc.に毎日遭遇!これは、その忠実な(筈の)レポートです。

義母のお葬式のこと。

  1. 2008.
  2. 07.
  3. 03
  4. (Thu)
  5. 18:48
誠にダイレクト極まりない題、だから内容もダイレクト極まりないんですが、書き留めておきたいと思いました。

火葬を断じて拒否する義父の希望で義母は埋葬になりました。義父母は敬虔なクリスチャンという訳ではありませんが、同じ教会区内に40年近く住んでいることから、近くの教会の墓地への埋葬が可能だったんです。

教会の外の表示
教会の外の表示は「ジャージー式フランス語」。


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10時30分に黒リムジンが我々を迎えにやって来て、
黒リムジンがやって来て

11時にお葬式が始まりました。

牧師さんがオープニングを行い、

次に最初の祈り。

そして賛美歌。

次は、うちの夫によるtribute:義母の一生を振り返って故人を偲ぶ。
(本来なら牧師さんがやることなのではないか、と思うのですが、何しろ教会に通っていた訳では無いので、家族の誰かが行う事になったんだと想像します。)

続いて、姪による聖書からの抜粋のreading。

牧師さんの言葉。

参列者も参加しての祈り。

賛美歌。

"Commendation"

"Blessing"

そして棺が墓地へと運び出され、家族一同に見守られながら、前日掘られた墓穴に沈められ。。

翌日見に行ったら
翌朝、庭の花を花瓶に入れて持って行った時の写真。

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死後解剖の結果、亡くなる三日前に心臓マヒを起こしていた形跡があり、それが死に至る要因だったとのことです。

何故、そのことを誰も知らなかったのか。

実は、義母はアルツハイマーだったんです。亡くなる三週間程迄に脚を骨折して入院。毎日必ず通う義父は勿論、家族の誰かれも毎日お見舞いに行っていたけれど、誰も居ない時に心臓マヒを起こしたのを本人が記憶していなかった、だから誰にも判らなかったみたいです。そして、その三日後、義父が見舞いに行った時、寒い寒い、と言うので、義父はベッドに一緒に入って義母を暖めた。すると、お手洗いに行きたい、と言い出してベッドから降り、そこで床に倒れてしまって、そしてすぐ後で義父の腕の中で息を引き取った。というのが顛末です。

式次第に写真
家に持ち帰ってマントルピースに置いた「式次第」


アルツハイマーを発症したのは10年程前になると思われます。いつを持って発症、っていうのが誰にも判りませんが、義父が義母の記憶力に疑問を持ってMemory Clinicで診察してもらった結果、判明。

映画で観るような、家族を認識出来なくなる、ということは全く無かったし、いつも明るく元気一杯。第三者から見たら全く病気の事は判らない。記憶力に問題あり、と去年、免許を取り上げられてしまいましたが、運動神経抜群でそれまで義父よりむしろ上手に運転していました。

一番の大問題が、最近起きたことに対しての記憶力の長さでした。
「食糧を買わないと。」
「今日はこれからどんな予定?」

・・・これら二つが、日常生活で最も多く発せられた言葉。答えても説明しても、1分も経たないうちに、まるで全く会話が無かったかのように、再び同じ問いが繰り返される。何度も何度も何度も。

私達が訪れるとこれらに
「何時の飛行機で帰るの?」
が加わります。やはり、何度も何度も何度も。

同じ事を繰り返し聞かれ、その度にその場に居る誰かが代わりばんこに同じ答えをし続けるんですが、余りに何度も続いたら、何度目かに、すぐには誰もが答えを返さない隙が出来ます。すると義母は目にうっすら涙を浮かべ、義父に向かって、「○○○(←義父の名前)、答えてよ,答えてよ!」と迫るのです。
・・・夫はその様子を「まるで、どんどん溺れて行く人が必死で水面上に顔を出して息をしようとするみたいだ。Poor Mum.」と表現し、溜息をついていました。

悲しいのは本人が自分の記憶力に問題あることを自覚していた事。
・・・例えば、かかって来た電話を取っても最初の当たり障り無い挨拶の後、すぐに義父に代ろうとしたり、
・・・或いは、義母に対して誰かが質問をすると、「それは○○○(←義父の名前)の方が良く知ってるから」と義父にすぐ振ったり、
・・・もっと直接的には「記憶力が弱って来ててね、覚えて無いんだけど、」という前ふりの後で何かについての質問をしたり。

ここ一年くらいの義母のルーティン:毎朝10時半頃にボランティアさんが迎えに来てくれてアルツハイマー協会がやっているデイケア・センターへ趣き、3時過ぎに、やはりボランティアさんに連れられて帰って来る。でも、そこで何をして過ごしているのかは誰も知らないんです、義母自身に記憶が残らないので。でも、迎えが来るとハンドバッグを持ってサッと立ち上がって付いて行くことから嫌な体験をしているとは思えないし、日々にアクセントが付くし、何より義父が一人静かに本を読んだりする時間も貴重、ということから、毎日行ってました。

夫も義姉も義母に気分転換を、と隣の島ガーンジーやサーク、対岸のフランス、果てはカナリー諸島、それから生まれ故郷、そうそう、テニスが大好きなのでウィンブルドンのテニスマッチなども、義母が好みそうな色々な所に連れ出しました。その時は大変楽しんでくれるんだけれど、家に帰ったらもうすっかり行った事をころりと忘れ果てている。でも、その時、楽しんで貰えたらそれでいいじゃないの、と、懲りずに色々な所に連れて行っていました。

子供の頃の記憶とか、若い頃の記憶は鮮明なんです。ちょっと水を向けると昨日の出来事のようにすらすら喋り出す。だから義母の出身地、サフォーク地方のDVDをクリスマスプレゼントにして、一緒に観て会話の端緒にしてみたりもしました。

義父は義父で去年の11月、我々が日本に居る時にやはり脚を骨折し、義母と違ってここ数年で か弱くなっていたことから、冬が越せるか危ぶまれていたのを何とか持ちかえして運転も再開するようになった、丁度そのタイミングで義母が同じ所を骨折。義母は手術の際に、頑丈な骨だ、と医者に太鼓判を押してもらったとのことだったし、すぐ良くなるだろう、と思っていたんです。そこに突然の訃報でした。アルツハイマーじゃなかったら助けられた命だったのかもしれません。

奇跡が訪れて義母の病気が一瞬にして治ることを密かに願っていたんですが、無理でした。少なくとも、義母の傷が良くなったら、8月か9月にでも、義父と一緒に我々の新しい家を見に来て欲しいと思っていたのに、それも叶わなくなってしまいました。

********

お葬式のtributeで夫が最後に義父への賛辞を述べました。
「アルツハイマーの妻に何度も何度も同じ事を聞かれても決して鬱陶しがったりすることなく、辛抱強く対応し続けた。結婚式の時にどんな時も相手を支えると誓った、それを誠実に実行し続けた。」と。本当にその通りでした。

アルツハイマーについて、もっと勉強したら、もっと良い対処法が見つかったのかもしれません。が、いつも一緒だった優しい義父、同じジャージーに住んでいるのでまめに世話を焼きに毎日通う義姉や頻繁に訪れる義兄や孫達、そして一ヶ月に一度程度しか行けないけれど、毎日のように電話で話したり、行く度に創造的な方法で義母の世話をする夫。そういう思いやり溢れる心根の家族に囲まれて、最後まで皆の顔や名前を忘れる事無く、何より夫(義父)に看取られて息を引き取った義母は、理想的な逝き方をしたのかもしれません。

********

墓穴はスパッと見事に掘ってありました。その奥深くに沈められていく棺。そこからは義父母の家の屋根が見えます。

アルツハイマーは20人に一人が罹るとか・・・あと何年かしたら治療法が見つかるのでしょうか。早くそうなることを願ってやみません。











COMMENT

読んでて何だか涙が出てきました。
何でか分からないけど。
感じることが多すぎて逆に言葉が出てきません。

Rest In Peace

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私の父は80歳で、今まで聞いた事も無い昔のことを知ってるのに、今さっきのの出来事をあんまり覚えていません・・・
よく知っている人との会話では、最近ボケてしまってすぐに忘れてしまうと言っているので、微妙ですね〜
りす美さんのお話と、重なる部分がだいぶあるようです。
幸いにも病気知らずで、母と畑仕事をして頑張ってくれていますから、幸せな毎日かな・・・
なんて思っています。

亡くなられたお母様も幸せな人生を送られたようですね。

家の父もかなり記憶が危なくなって、最期は
脳溢血でした。なんだか父の最期を思い出し
ちゃいました。悲しみはしばらく続くと思いますが
どうぞご自身が倒れないでね。

私の母、88歳です。アルツハイマーではありませんが、やっぱり記憶は薄れているようです。 
それにしても義母さま、とてもいい人生でしたね、何より素晴らしいご家族とともに過ごせたこと何よりでした。

自分がアルツハイマーではないか、と自覚するのは、ほんとうに恐ろしいことだと思います。 最近は映画やドキュメンタリーなどメディアに取り上げられることも多くなりましたね。 確か「精神余命」という本、命そのものではなく、自分の記憶や精神の終わりが近づくのを自覚していく、という話でした。 
私も自分の老いを切実に感じるようになりました。 

りす美さんへ、この記事に感謝です。本当に深い悲しみと惜別の思いがあふれていて・・・。それにしても壮絶なまでのお苦しみを味わうことなく、天寿をまっとうされたお義母さまのことをうらやましくも思えてきます。Tributeは一番親しい家族や友人代表がすることが多いです。ご主人も、お義父様もそしてりす美さんも、どんなにかお寂しいことでしょう。お悔やみもうしあげます。

katherineさんへ

なんか義母の死は私にも結構堪えていたりするんです。優しい涙を有難うございます。

鍵付きコメントを頂いたhさんへ

有難うございます。こう言う事を書くのはどうだろう、と思ったんですが、書き留めておきたくて書いてしまいました。

博多の華さんへ

具体的な事は忘れたとしても「楽しかった」「嬉しかった」っていう気持ちは残るような気もするので、お父様が幸せそうに暮らしておられるのは何よりのことですね。

NORIKOさんへ

お優しいお心遣い有難うございます。私は大丈夫なんですが、時々ぼーっとしているみたいな夫が可哀想です。

hiroさんへ

夫によると、何でも義父が決めて、義母はそれに忠実について行ったような人生で、その範囲内では何不自由無い人生ではあったみたいです。でも一方では、色々あっても自分を抑えるのを良しとしていた、昔の日本人女性みたいな人だったのかもしれません。

dekobokoさんへ

こちらこそ、このような個人的なものを読んで頂き、優しいコメントも頂戴し、有難うございます。壮絶なまでの苦しみ・・・身体的な痛みなどは無かったとしても、実は義母は自分自身に困惑し、深い悲しみを味わっていたのかもしれないんです。やっぱりアルツハイマーっていうのは残酷な病気です。。。

私の母もそうだったんです。私の娘のことを「この子だあれ?」って私に聞いたりして。自分に男の子がいなくて、産んだのは女の子ばっかりだったから、人をつかまえては、「あなた子ども何人生んだの?」「二人よ。男1、女1.」「まあ、両方いるの!すごいじゃない。」というような会話をよくやってました。でも日本の施設でかれこれ10年以上おせわになり、95歳で昇天っていうのは、ものすごく身体が健全だったんですね、きっと。すみません、こんなところでつい私的なことを書いてしまいました。

私事ですが、社長を息子に譲りまして・・会長に就任いたしました。私が会社を興したときは30歳・今、息子は36歳・・良い頃と思ったので。決めたのはいいですが、監督官庁ならびに取引先・銀行などなど手続きが大変でした。あと少しで全て完了する見通しです。時間が取れそうです。
ホッとしたのと、嬉しさで皆さんにおしらせしています。

おつかれさまです

諸行無常、すべてのものは永遠ではないのですから、
一期一会で、そのときに、精一杯いの真心で、相手を敬愛することができれば、
それこそ、最高の人生ではないですか。

よい家族の方々に恵まれて、りす美さんは幸せですね。

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dekobokoさんへ

そうだったんですか。95歳ならきっと周りの人は「大往生」って言われたんでしょうけれど、どんな死であっても心残りはありますよね・・・。想い出を大切にしたいですね。

夕張メロンさんへ

それはおめでとうございます♪ 会長は実務から離れた広い意味での会社のPR役、今後の益々のご活躍を念じております。

去年のちょうど今頃でしょうか、夫の祖母がなくなりました。それも義母の母で、スコットランドのナーシングホームに住んでおりました。88だったかな。
彼女も少し記憶に障害があったようですが私たちのお見舞い程度ではわかりませんでした。可愛いおばあちゃんでした。お葬式の様子、目に浮かびます。
きっとあの世で今はしゃきしゃきとやってらっしゃるでしょうね〜。そしてお義父さま、淋しいでしょうね…。

そうそう、ワタクシ「もづ」ですよ〜。英語で書くとModsなのです〜。ややこしくしてすみません汗汗

きゃらさんへ

有難うございます。そう、夫を始め、夫の家族の優しさから学ぶ事は多いです。

家族

記憶が薄れていくのを
ご本人が一番認識していたことは
ご本人が一番悲しかったかもしれません。
なんだか、せつないお話ですが、
介護をする側、される側、
そのどちらも「明日はわが身」。
だからこそ悔いのないよう、家族が支えてあげたいですね。
自分のだんな様に抱かれて一生を終えたのはある意味、ご家族の愛に満ち溢れたしあわせな閉じ方です。
ほんとうは悲しいことなんでしょうが、
切々と描かれた文章に大きな愛を感じて、なんだか、やさしい気持ちにさせていただけました。 
これからの自分に関わってくることなので
とても参考にさせていただけそうです。
ありがとうございました。
残されたお義父様をこれからも大切になさってくださいね。

このたびは心よりお悔やみ申し上げます。
お義母さまも温かい家族に見守られながら
安心してあちらの世界へ旅立つことが出来たのではないでしょうか…。
ちょうど一年前、私の義父も亡くなりました。
本人の希望により遺灰は火葬場の敷地内で処理されてしまったので、
お墓参りさえ出来ないのがちょっと悲しいです。
心の中で偲んではいますが…。
お義父様、ご主人も気落ちされていることでしょうが
ご家族やりす美さんに支えられて
きっと心強く思っているのではないでしょうか。。。

素晴らしい義父様ですね。

この記事は最初一人で読んで・・・・・
それから、ダーリンと改めて一緒に読ませて頂きました。

うちの母はアルツハイマーではありませんが、事故以来の症状的にはアルツハイマーに非常に似ています。
今あったこともまるで記憶していませんし、糖尿病も持ってるので、食事制限してるのに食べた事を忘れるのにもいつも困らされます。
なにより母は父が亡くなったことを認識してないので、父を探そうとする事もあるのですが・・・
でもそういう時には、夫婦の絆の強さを感じることもあります。

りす美さんの義父様は、本当に誠実で素晴らしい旦那様だったんですね。
結婚式での誓いの言葉をそのまま実行するのは、実は大変なことではないかと思います。
私も母のヒステリーや困った態度に参ってしまうこともあるのですが、いつかはやってくるであろう母との別れの日までは義父様のような誠実さ、真摯な態度に近づきたいと思います!!

しばらく旦那様はどうしても寂しいと思いますが、
りす美さんとご結婚されててよかったと思ってもいらっしゃるのではないかとも思います。

愛する人の胸で逝かれた義母様は、記憶にはなくてもりす美さん達との思い出をいっぱい抱えて、天国へ行かれたのでしょうね。

鍵付きコメントを頂いたNさんへ

ご厚情有難うございます。自分が死ぬときの事を考えたり、そのことで不安になったり、未だした事が無いんですが、これを機会に夫と二人で色々考える事になりそうです。

modsさんへ

あの世でしゃきしゃき、っていう姿を思い浮かべたら良いかもしれませんね、有難うございます♪義父は折からのウィンブルドン観戦(TV)で当面は気が紛れているみたいです。その後どうするのか、が我々の課題・・・。

*もづさんと書いてもらえなければ全く判りませんでした!想像力減退、、悲しいv-15

てぬきやマイルスさんへ

そうなんです、せつないんです。何かがおかしいんだけれど、自分ではどうする事も出来ない、その戸惑いそのものを語り合えなかったことを夫は悔いていて、余計せつないです。

Sineadさんへ

心の中で偲ぶ・・・それって絶対通じてると信じます。夫も義母の事を思い出して仕方無い、って悲しそうに言うんですが、目一杯思い出すべきだ、それが供養になる、という意味のことを言って励ましている(つもり)んです。

くるみさんへ

くるみさん達のお母様への献身ぶりは稀に見るものだといつも感心しています。覚えておられないようでも、きっと体の何処かで記憶されているに違いないと思います。

義父は、ヒステリックに迫ることもあった義母に、一切、腹を立てる事無く、冷静且つ優しく接し続けたのが、凄いな、と思えました。夫もその血を引いている筈なので私は安心。。

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鍵付きコメントを頂いたAさんへ

大変な状況の中で、どうして行けば良いのかを決めるのが難しいですね。人生、色々ありますね・・・。義母の暮らしぶりが少しでも何かのお役に立てるなら幸いです。

イギリスに住む義母が突然亡くなり、土曜日にイギリスに行くのですが、初めてのイギリスでのお葬式なので、わけもわからず困っていてたどり着きました・・数珠はいらないだろうと思いながらも用意したり、動揺しています。義父が一人暮らしになるので不安ですし、こちらをのぞかせていただけて少し安心しました。

カップチャさんへ

それは大変ですね。ご冥福を祈ります。

イギリスのお葬式って、黒尽くめじゃないんですよ、、。私は黒のスーツに黒のストッキングに黒の靴に黒のバッグに真珠のネックレス、という日本的服装にしましたが、そんな人、私しか居なかった、、。

あとね、もしかしてカップチャさんの親御さんがどうしたものか、と思っておられたら、花を贈るのをおすすめします。私は近所の花屋に注文して白色ばかりの豪華めの花束を両親の名前で送った(ジャージーの花屋に連絡が行って、そこで作って届ける、っていうやり方)んですが、義父に大変喜ばれました。あと、うちの娘はお悔やみの詩を引用したカードを送って、これも義父に非常に喜ばれたので、そういうのもあり、ですよ。

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りす美

Author:りす美
49歳のある日。「50歳から結婚して一緒に住もう。」と突然言い出したイギリス人の現夫。30年近く働いたし、前夫との間の娘も成人したし、この辺でガラリと人生変えてみるか・・・、そういう運命かな、と、転職して間無しの会社に辞表を出してしまい、2005年11月、ここロンドン郊外に移り住んで来ました。

そして優雅に始まるセカンドライフ・・・だった筈なのに、日常生活の一つ一つが、嗚呼。何故なぜ?どうしてなの!?と、勝手が違うことばかり。

そんな新生活の驚きを逆に楽しんで行こうとしています。

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