義母のお葬式のこと。
- 2008.
- 07.
- 03
- (Thu)
- 18:48
火葬を断じて拒否する義父の希望で義母は埋葬になりました。義父母は敬虔なクリスチャンという訳ではありませんが、同じ教会区内に40年近く住んでいることから、近くの教会の墓地への埋葬が可能だったんです。

教会の外の表示は「ジャージー式フランス語」。
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10時30分に黒リムジンが我々を迎えにやって来て、

11時にお葬式が始まりました。
牧師さんがオープニングを行い、
次に最初の祈り。
そして賛美歌。
次は、うちの夫によるtribute:義母の一生を振り返って故人を偲ぶ。
(本来なら牧師さんがやることなのではないか、と思うのですが、何しろ教会に通っていた訳では無いので、家族の誰かが行う事になったんだと想像します。)
続いて、姪による聖書からの抜粋のreading。
牧師さんの言葉。
参列者も参加しての祈り。
賛美歌。
"Commendation"
"Blessing"
そして棺が墓地へと運び出され、家族一同に見守られながら、前日掘られた墓穴に沈められ。。

↑翌朝、庭の花を花瓶に入れて持って行った時の写真。
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死後解剖の結果、亡くなる三日前に心臓マヒを起こしていた形跡があり、それが死に至る要因だったとのことです。
何故、そのことを誰も知らなかったのか。
実は、義母はアルツハイマーだったんです。亡くなる三週間程迄に脚を骨折して入院。毎日必ず通う義父は勿論、家族の誰かれも毎日お見舞いに行っていたけれど、誰も居ない時に心臓マヒを起こしたのを本人が記憶していなかった、だから誰にも判らなかったみたいです。そして、その三日後、義父が見舞いに行った時、寒い寒い、と言うので、義父はベッドに一緒に入って義母を暖めた。すると、お手洗いに行きたい、と言い出してベッドから降り、そこで床に倒れてしまって、そしてすぐ後で義父の腕の中で息を引き取った。というのが顛末です。

↑家に持ち帰ってマントルピースに置いた「式次第」
アルツハイマーを発症したのは10年程前になると思われます。いつを持って発症、っていうのが誰にも判りませんが、義父が義母の記憶力に疑問を持ってMemory Clinicで診察してもらった結果、判明。
映画で観るような、家族を認識出来なくなる、ということは全く無かったし、いつも明るく元気一杯。第三者から見たら全く病気の事は判らない。記憶力に問題あり、と去年、免許を取り上げられてしまいましたが、運動神経抜群でそれまで義父よりむしろ上手に運転していました。
一番の大問題が、最近起きたことに対しての記憶力の長さでした。
「食糧を買わないと。」
「今日はこれからどんな予定?」
・・・これら二つが、日常生活で最も多く発せられた言葉。答えても説明しても、1分も経たないうちに、まるで全く会話が無かったかのように、再び同じ問いが繰り返される。何度も何度も何度も。
私達が訪れるとこれらに
「何時の飛行機で帰るの?」
が加わります。やはり、何度も何度も何度も。
同じ事を繰り返し聞かれ、その度にその場に居る誰かが代わりばんこに同じ答えをし続けるんですが、余りに何度も続いたら、何度目かに、すぐには誰もが答えを返さない隙が出来ます。すると義母は目にうっすら涙を浮かべ、義父に向かって、「○○○(←義父の名前)、答えてよ,答えてよ!」と迫るのです。
・・・夫はその様子を「まるで、どんどん溺れて行く人が必死で水面上に顔を出して息をしようとするみたいだ。Poor Mum.」と表現し、溜息をついていました。
悲しいのは本人が自分の記憶力に問題あることを自覚していた事。
・・・例えば、かかって来た電話を取っても最初の当たり障り無い挨拶の後、すぐに義父に代ろうとしたり、
・・・或いは、義母に対して誰かが質問をすると、「それは○○○(←義父の名前)の方が良く知ってるから」と義父にすぐ振ったり、
・・・もっと直接的には「記憶力が弱って来ててね、覚えて無いんだけど、」という前ふりの後で何かについての質問をしたり。
ここ一年くらいの義母のルーティン:毎朝10時半頃にボランティアさんが迎えに来てくれてアルツハイマー協会がやっているデイケア・センターへ趣き、3時過ぎに、やはりボランティアさんに連れられて帰って来る。でも、そこで何をして過ごしているのかは誰も知らないんです、義母自身に記憶が残らないので。でも、迎えが来るとハンドバッグを持ってサッと立ち上がって付いて行くことから嫌な体験をしているとは思えないし、日々にアクセントが付くし、何より義父が一人静かに本を読んだりする時間も貴重、ということから、毎日行ってました。
夫も義姉も義母に気分転換を、と隣の島ガーンジーやサーク、対岸のフランス、果てはカナリー諸島、それから生まれ故郷、そうそう、テニスが大好きなのでウィンブルドンのテニスマッチなども、義母が好みそうな色々な所に連れ出しました。その時は大変楽しんでくれるんだけれど、家に帰ったらもうすっかり行った事をころりと忘れ果てている。でも、その時、楽しんで貰えたらそれでいいじゃないの、と、懲りずに色々な所に連れて行っていました。
子供の頃の記憶とか、若い頃の記憶は鮮明なんです。ちょっと水を向けると昨日の出来事のようにすらすら喋り出す。だから義母の出身地、サフォーク地方のDVDをクリスマスプレゼントにして、一緒に観て会話の端緒にしてみたりもしました。
義父は義父で去年の11月、我々が日本に居る時にやはり脚を骨折し、義母と違ってここ数年で か弱くなっていたことから、冬が越せるか危ぶまれていたのを何とか持ちかえして運転も再開するようになった、丁度そのタイミングで義母が同じ所を骨折。義母は手術の際に、頑丈な骨だ、と医者に太鼓判を押してもらったとのことだったし、すぐ良くなるだろう、と思っていたんです。そこに突然の訃報でした。アルツハイマーじゃなかったら助けられた命だったのかもしれません。
奇跡が訪れて義母の病気が一瞬にして治ることを密かに願っていたんですが、無理でした。少なくとも、義母の傷が良くなったら、8月か9月にでも、義父と一緒に我々の新しい家を見に来て欲しいと思っていたのに、それも叶わなくなってしまいました。
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お葬式のtributeで夫が最後に義父への賛辞を述べました。
「アルツハイマーの妻に何度も何度も同じ事を聞かれても決して鬱陶しがったりすることなく、辛抱強く対応し続けた。結婚式の時にどんな時も相手を支えると誓った、それを誠実に実行し続けた。」と。本当にその通りでした。
アルツハイマーについて、もっと勉強したら、もっと良い対処法が見つかったのかもしれません。が、いつも一緒だった優しい義父、同じジャージーに住んでいるのでまめに世話を焼きに毎日通う義姉や頻繁に訪れる義兄や孫達、そして一ヶ月に一度程度しか行けないけれど、毎日のように電話で話したり、行く度に創造的な方法で義母の世話をする夫。そういう思いやり溢れる心根の家族に囲まれて、最後まで皆の顔や名前を忘れる事無く、何より夫(義父)に看取られて息を引き取った義母は、理想的な逝き方をしたのかもしれません。
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墓穴はスパッと見事に掘ってありました。その奥深くに沈められていく棺。そこからは義父母の家の屋根が見えます。
アルツハイマーは20人に一人が罹るとか・・・あと何年かしたら治療法が見つかるのでしょうか。早くそうなることを願ってやみません。
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